¡Mi experiencia en México! (私のメキシコ体験談) 6日目
私はメキシコのユカタン半島を約1カ月かけて遺跡巡りをしています。
今回は旅程6日目のご紹介です!
※以下【】内はメキシコの公用語であるスペイン語での表記です。
また文章内でシティと表記があった場合はメキシコシティを指します。
本記事は2023年6~7月の情報です。
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前回、時差と大雨にやられた5日目を終えました。
さて6日目は、この旅4つ目の遺跡に向かいます。
4ヵ所目の遺跡の名前は、エク(エック)・バラム遺跡=ソナ・アルケオロヒカ・デ・エク・バラム【Zona arqueológica de Ek Balam】です。
こちらの遺跡は滞在中のバジャドリからみて、北東に位置している遺跡です。
遺跡の近くには、セノーテもあります。
※エク・バラム遺跡に長時間滞在したため、セノーテはスルーしました。
まずは、宿を出発し前回説明したタクシー乗り場に向います。
※ちなみに、バジャドリの宿は3泊4日で予約しています。
前日にタクシー乗り場の場所を確認したので問題なくたどりつけそうです。
事前情報と実際の状況が異なることもあるため、確認は怠らないようにしましょう。
宿からタクシー乗り場までの最短ルートだと、C.37通りとC.44通りの交差点⇧を通ることになりました。
この日は、この交差点でタクシー運転手が客寄せをしていました。
エク・バラム【Ek Balam】に行きたいと伝えると、タクシー乗り場まで案内してくれました。
仮にタクシー運転手が客寄せしていない場合でも、⇧のタクシー乗り場に直接行けば問題ありません。
タクシー乗り場は、C.37通りとC.44通りの交差点から東に少し進んだ所にあります。
※セントロから向かう場合は、C.37通りと南行295通りの交差点を西に進んでください。
シティオ・デ・タクシー / コレクティーボ【Sitio de Taxis / Colectvios】がタクシー乗り場です。
待合所の壁には、行き先が書かれています。
壁に書かれた行き先には、エク・バラム【Ek Balam】も含まれているため、わかりやすいと思います。
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ちなみに、近くにはADOバスターミナルもあるため、バジャドリに到着してすぐにエク・バラムに行くことも可能です。
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乗り合いタクシーは、乗客が4人になると出発します。
この日は、現地のお兄さんとおばあちゃん、私、同行者と4人すぐに揃ったので5分と待たずに出発しました。
片道1人50ペソ(MXN)でした。
また、不足した人数分の料金を払うと4人揃っていなくとも出発してくれるようです。
さて、エク・バラム遺跡まではタクシーで約30分ほどかかります。
この時は、同乗者のお兄さんが道中にお昼ご飯を買うためにお店に寄ったり、おばあさんの下車に時間がかかったりしました。
また、途中事故渋滞が起こっていましたが、それでも約30分で到着したので何もなければもう少し早く着くと思います。
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さて、エク・バラム遺跡の駐車場までタクシーでやってきました。
駐車場の脇がタクシーの乗降場所になっています。
写真の背面が遺跡の入り口方面になります。
駐車場から入口までは、舗装された歩道が続いています。
エントラーダの中に入ると、チケット売り場=タキージャ【Taquilla】があります。
料金は、遺跡の入場料90ペソ(MXN)と*環境保護料441ペソ(MXN)を合わせた531ペソ(MXN)となります。
支払いはメキシコペソのみでドルは使えません。
カード類はOKだったはずですが、一応現金も準備しておきましょう。
前回までの遺跡やこの旅行以前に訪問した遺跡は、基本的に入場料のみでしたがエク・バラムと次回行くチチェン・イツァは*環境保護料が加算されます。
※*環境保護料なのかわかりません。しかし、徴収団体であるAAFYが環境保護系っぽいので保護料だと推測しています。
あと、今更ですが基本的にはすべての遺跡において、ケータイやカメラによる遺跡内の撮影は禁止されていません。
しかし、一眼やGoProみたいなカメラは入場時に申告し追加で25ペソ(MXN)程を払う必要があります。
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ここから遺跡の入場料金について詳しく書きます。
興味のない方は飛ばしてください。
メキシコ国内の遺跡は、【INAH ( Instituo Nacional de Antoropología e Historia ) 】という日本の文科省・文化庁のようなところが管理しています。
入場料はINAHが徴収しています。
また、エク・バラム遺跡の環境保護料はAAFYが徴収していますが、AAFYはユカタン州の団体だと思います。
そのためユカタン州以外の州にある遺跡は、そのほとんどが入場料だけ払えばOKでした。
またメキシコ国内の全ての遺跡や文化系施設は、メキシコ国内の学校の有効な学生証明書を持っていれば入場料が無料になります。
もしメキシコ国内の学校に留学などしている場合は、必ず携帯しておきましょう。
当時、私はメキシコシティにある大学付属の語学学校に通っており、語学学校の学生証を持っていたため、基本無料で遺跡に入ることができていました。
※そのため、⇧写真のチケットは料金が$0.00MXNになっています。
また、遺跡によって入場料が異なり追加料金や割引などがあります。
外国人旅行客は、基本的に全額支払うことになります。
エク・バラム遺跡の場合は4~12歳の外国人は入場料だけ支払うことで入場でき、それ以下の年齢の場合は無料だと思います。
逆に、外国人高齢者向けの割引などは無いようです。(エク・バラム遺跡の場合)
ちなみに、メキシコ国民とメキシコ国内在住の外国人は証明書があれば日曜日は無料になります。
日本も文化施設や遺跡を、国内の学生に対して無料開放すればいいのに。
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エントラーダを出て、しばらく歩道に沿って森の中を歩きます。
こちらがエク(エック)・バラム遺跡=ソナ・アルケオロヒカ・デ・エク・バラム【Zona arqueológica de Ek Balam】への入口です。
訪問時エク・バラム遺跡は、管理団体である【INAH ( Instituo Nacional de Antoropología e Historia ) 】という日本の文科省・文化庁のようなところが力を入れて発掘・修復をしていました。
特に、公開中の遺構の中で最も大きいラ・アクロポリス【La Acrópolis】は修復風景も観察することができるため、大変興味深いものでした。
※ラ・アクロポリスについて詳しくはのちほど。
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遺跡紹介で、1つ重大なことを説明し忘れていました。
ほぼすべての遺跡において、各遺構・建築物ごとに説明文が設置されています。
スペイン語と英語、先住民語の3言語で書かれた遺構の説明となります。
先住民語は地域によって異なり、スペイン語と英語のみ、という所もあります。
また、絵や図を用いている説明文もあります。
このブログでは基本的にこれら説明文を元に遺構紹介を行います。
しかし、説明文そのものは著作権とかありそうなので写真は載せないようにします。
※これ以前の記事の冒頭に、説明文に関する注意書きを差し込みます。
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エク・バラム遺跡には当初、12,000~18,000人ほどが暮らしていたそうです。
遺跡そのものは12k㎡ほどの広さだそうですが、エク・バラムの中心地は公開されている約1k㎡です。
最盛期は西暦600~900年頃と考えられていますが、紀元前300年頃には既にエク・バラムの形成は始まっていたと推察されています。
後年には、コバ遺跡と同じくチチェン・イツァの権力下にあったものと考えられています。
さて、遺跡エリアに入ると、まず最初に①城壁=ムラジャス【Murallas】が確認できます。
この城壁は幅3m、高さ1.5mでエク・バラム遺跡を囲むように設置されています。
元々は漆喰塗装を施し、その漆喰に絵が描かれていたと推測されています。
また、城壁と呼ばれていますが、防衛目的で建築されたものではないとみられています。
地図を見てもわかりますが、二つの城壁がぐるっと遺跡を囲っています。
城壁を越えると、マヤ文明の特徴的な建築様式を確認できる遺構が現れます。
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正面に、少し傾斜が急なスロープが設置されています。
構造物18は、昔もエク・バラムへの入り口として機能していたそうです。
三角アーチ状の天井を持つ構造物18は、持送り式で作られています。
持送り式は、アーチ状に天井や開口部を作る・支える方式で、石材などを少しずつ張り出すように地面に対して平行に積み重ねていきます。
イメージとしては、逆階段状で作られたアーチです。
しかし、持送り式のアーチは、アーチ部分の構造だけでは自立支持ができません。
アーチ式は、持送り式と同じくアーチ状に天井や開口部を作る・支える方式ですが、石材などを地面に対して垂直・斜めになるように設置します。
イメージとしては、レンガで作られたピザ窯の開口部などが分かりやすいかと思います。
またアーチ式は、アーチ部分の構造のみで自立支持ができます。
※自立支持できるアーチ式のアーチに対して、自立支持できない持送り式のアーチを疑似アーチと呼んだりもします。
持送り式は、マヤ建築の特徴であり、ほかのメソアメリカ系文明で使用されていた支柱とまぐさ石を使った方式より天井の支持力が向上しています。
※マヤ文明の遺跡でも一部(古い遺跡や小さな開口部)では、支柱とまぐさ石の方式を採用しています。
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支柱とまぐさ石を使った方式は、持送り式やアーチ式と同じく、開口部や天井を支える・作る際に使用されます。
2本の支柱の上から水平に蓋をするようにまぐさ石(木)を設置し、完成するシンプルな構造です。
まぐさ石が気になる方は、調べてみてください。
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持送り式は、アルコ・マヤ【Arco maya】やアルコ・ファルソ【Arco falso】、ボベダ・マヤ【Bóveda maya】とも呼ばれます。
以降ブログ内では、持送り式アーチをボベダ・マヤ【Bóveda maya】に統一します。
構造物18の側面です。
正面とはことなり、土台部分に階段が設けられています。
入口から構造物18を正面にした場合、右手に構造物14、楕円形の宮殿=エストルクトゥーラ14、エル・パラシオ・オバル【Estrucrtura 14 / El Palacio Oval】が見えます。
人が登っていますが、この宮殿は登れます。
この人が登っている部分が楕円形になっているため、楕円形の宮殿と呼ばれています。
宮殿と呼ばれていますが、マヤ文明圏の宮殿はその多くがおそらく支配階級が暮らしていた建物だと考えられています。
また後で宮殿に登りますが、先に③球戯場=フエゴ・デ・ぺロタ【Juego de Pelota】を見ていきましょう。
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構造物18をまっすぐ奥へと進むとフエゴ・デ・ぺロタが現れます。
フエゴ・デ・ぺロタは球技を行う傾斜部と、神殿や観戦席、控室などの役割がある直方体で形成されています。
エク・バラム遺跡のフエゴ・デ・ぺロタには、控室と思しき開口部と小部屋が確認できます。
また、直方体の上には儀式を行う神殿や観戦席のようなものがあります。
このブログにおいて、フエゴ・デ・ぺロタは何度か出てきていますが、次回のチチェン・イツァでしっかりと解説したいと思います。
人と比較してみると、フエゴ・デ・ぺロタの高さや大きさがよくわかるかと思います。
※ちなみに、写っている人達はみんな欧米系なので身長が結構高いです。
背面に階段が付いており、当時から上り下りしていたと推測できます。
蛇腹になっている階段横の部分に関しても、次回ご紹介します。
さて、フエゴ・デ・ぺロタからさらに奥に進んでいきます。
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フエゴ・デ・ぺロタから先に奥に進むと地図上では、広い空間に出ます。
ちょうど⑥⑦のあたりです。
⑦の北広場=プラサ・ノルテ【Plaza Norte】が広い空間の名前です。
基本的にピラミッド建造物の前方には、このような広場=プラサ【Plaza】が広がっています。
ピラミッド建造物の前方にプラサがある理由ですが、ピラミッド建造物は権力者によって儀式や催事の際に使用されます。
ピラミッド建造物前方に広場を設けることによって、人々はそこに集まることができ、儀式や催事を物理的・心理的により身近に感じることができます。
逆にピラミッド建造物の前に集まれない構造だと、人々はそれらが遠い存在のように感じ、権力者の影響力や信仰心も低下するのではないでしょうか。
さて、④の構造物2=エストルクトゥーラ2【Estructura 2】は林の向こうにあり、見づらく、また作業中だったのか所々ビニールシートがかかっていました。
また、⑨の構造物3=エストルクトゥーラ3【Estructura 3】は、小高い丘程度でしたので飛ばします。
従って、⑤のラ・アクロポリス【La Acrópolis】を見ていきましょう。
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ラ・アクロポリス【La Acrópolis】は、高地・高い所という意味です。
このエク・バラム遺跡のアクロポリスは構造物複合体であり、ピラミッドではありません。
ピラミッドだと思ったかもしれませんが、ピラミッドではありません。
※マヤ文明におけるピラミッドについては、次回説明します。
中央にある大階段は登ることができるため、登ってみました。
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まず、階段下段に葉っぱ屋根の囲いがあります。
このアクロポリスは修復の最中です。
下段では、漆喰装飾の復元作業が行われています。
なんだこれ?って感じですよね。
この装飾、上は蛇の頭、下はマヤ文字と舌です。
蛇の口から文字が出てきている感じです。
マヤ文字の内容的には、アクロポリスの初代製作者(権力者)の名前が書かれているそうです。
葉っぱ屋根の囲いの階段を挟んで反対側に、この漆喰装飾と対になるように別の漆喰装飾があるらしいです。
しかし、訪問当時はビニールシートで覆われており見えませんでした。
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階段を上っていくと、別の階段や開口部が現れます。
登れる階段は、中央にある登っている大階段のみですが、ほかにも階段が各所にあります。
アクロポリスは構造物複合体であるため、外見では1つの構造物のようにみえますが、複数の構造物の集合体となっています。
そのため、複数の部屋(開口部)や階段が確認できます。
本来の姿は、石材のベースに漆喰塗装を施し、着色を施したものとなります。
修復作業は漆喰装飾の修復・復元までで、着色はしないようです。
原色が判明している所もあれば判明していない所もあるため、とりあえず着色はしないという方針なのでしょうか。
マヤの着色は、漆喰に染料を染み込ませ、染料の水分が飛ぶと色素が定着するというものです。
この着色方法が難しいのも、着色修復まで行わない一因なのかもしれません。
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ちなみに、大階段は結構な傾斜になっています。
日本の昔の家のちょっと急な階段以上の傾斜かもしれません。
登る際は、十分に注意してください。
大階段の最上段少し手前に、興味深い装飾を発見しました。
X模様が確認できます。
X模様はマヤ文化圏では、生命や世界を表す模様となっています。
なぜ階段にその模様が付いているのかわかりません。
こちらがアクロポリス頂上からの景色です。
右前方にエル・パラシオ・オバルが見えます。
こう見るとアクロポリスの高さがよくわかります。
まさに森の中、周辺に遺跡以外の人工物は見当たりません。
このアクロポリスの高さは、およそ32~38mと結構な高さですがコバ遺跡のノホック・ムルピラミッドより低いらしいです。
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登りは、アクロポリスの正面右側を見てきましたが、下りは左側を見ていきましょう。
大階段の中段あたりに、修復風景を観察できる場所があります。
こちらの中央部は、ほぼ漆喰装飾の修復が完了しており、左右の開口部周りの修復を行っているようでした。
特に右側(黒いビニールシートが覆いかぶさっている所)の上部は、昔のものだそうです。
さて、中央部の装飾は所々、牙のように見えます。
マヤ建築様式にはいくつか種類があります。
そのうち1つの様式は、このような牙を模した、正確にはこの世のモノではない口を模した装飾が施すことで知られています。
※この建築様式の種類については、また別の記事で紹介します。
中段には、先ほどの修復部の奥に広場のような空間が広がっていました。
これもアクロポリスの一部で高さ的に、最下段の上面でしょうか。
中央部には穴が開いています。
広場から頂上に向って階段が伸びています。
写真の右端が、先ほどみた修復部です。
下段、中段が生活などを行っていたスペースで上段は、より神聖な空間だったのでしょうか。
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最下層の壁面には、レリーフが残っています。
また、等間隔で部屋(開口部)があり、それぞれ外側と内側の二部屋に分かれていました。
このエク・バラム遺跡のアクロポリスは構造物全体でかなりの部屋数があったようで、通路や階段を駆使してアクセスを確保していたようです。
それが、大階段脇にあった部屋や、階段、階段下を通り抜けのできる通路なのでしょう。
さて、アクロポリスは最下層をぐるっと1周できるようなので大階段を正面に、時計回りに見ていきたいと思います。
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まず、左の角に放棄されたバイクがありました。
いや、遺跡と関係ないんですけどね。
先ほどの最下層のレリーフ壁面とは異なり、蛇腹構造の壁面が目を引きます。
蛇腹壁面の奥に進んでいくと、階段が現れます。
ここにはロープが張られていたので、おそらく登ることはできません。
それにしても、急傾斜の階段です。
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アクロポリスの角が少し丸みを帯びているのがわかるかと思います。
コバ遺跡でもお伝えした通り、丸みを帯びた構造物はマヤ建築の中でも比較的古い構造物である可能性が示唆されています。
メキシコのピラミッド構造物(アクロポリスは正確にはピラミッド建造物ではありません)は、時代を重ねるごとに増築や前年代の構造物に覆いかぶさるように建築されます。
この要因によって、1つの構造物に異なる年代の様式が確認できることも珍しくありません。
ここでは表面は四角い石材が使用されているのに対して、内面の細かな石材が使用されています。
これは、前時代の層がただ石を積み上げたものに対して、後年代の層は成型してから石材を積み上げている、年代による建築方法の違いを示唆しています。
また、そのような建築法の違いではなく、前時代の構造物を隠すにあたり、新しい層と古い層の隙間を埋めるために細かい石材を用いることもあります。
そのため、今見えている表層と隙間埋めの層の内側に別の層があったりもします。
どうやら、こちらの面も絶賛修復中か発掘中のようですね。
真裏の面はかなり崩壊しているようです。
もしかすると正面もこれくらい崩壊していたのかもしれません。
すごく手作り感満載な工事現場でよく見るやつです。
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こちらは大階段を正面に見て、右角に当たる部分です。
裏面は正面の角ばった建築と異なり丸みを帯びていました。
しかし、正面側にも少し丸みを帯びた構造が残っていました。
ここ最は下層の基礎=バサメント【Basamento】に当たる部分です。
なぜここが丸みを帯びていのか。
よくわかりません。
石材の感じからして、正面部と同じ時期に作られていそうです。
アクロポリスを観終わったのでエク・バラム遺跡の北部分は終了です。
従って、エル・パラシオ・オバルの続きと南部分を見ていきましょう。
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ここからは、⑬の南広場=プラサ・スール【Plaza Sur】、構造物10=エストルクトゥーラ10【Estructura 10】
そして、②構造物17、双子の神殿=エストルクトゥーラ17 / ラス・ヘメラス【Estructura 17 / Las Gemelas】を見ていきます。
右奥に見えるのは、先ほどまで見ていたアクロポリス【La Acrópois】です。
左側が、双子の神殿【Las Gemelas】です。
エル・パラシオ・オバルの正面に広がるスペースが、南広場=プラサ・スール【Plaza Sur】になります。
⇧の画像の右側には構造物10があります。
構造物10の上は、非常に簡素でした。
開口部がボベダ・マヤではなく、まさぐ石を使用しているあたりがキンタナ・ロー州のトゥルム遺跡などとよく似ています。
構造物10の基礎は、古典期後期の西暦700-1000年頃に建築されています。
一方で、基礎の上に建っている建築物は、後古典期後期の西暦1200-1542年頃のものと考えられているようです。
また、他に2つの建築物が構造物10の基礎の上に建っていたと考えられています。
基礎の面積が広いだけに、元々はもっと施設が建っていた可能性があります。
基礎の端が少しカーブを描いているもの構造物10の特徴です。
また、説明文によると基礎部の特徴が同じマヤ文化圏であるグアテマラにあるペテン【Péten】地域との関係性を示唆しているそうです。
つまり、アクロポリスの最下段の基礎もペテン地域との関係性を示唆しているのでしょうか。
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さて、エル・パラシオ・オバルに登ってみました。
楕円部には、祭壇のようなものが確認できます。
残念ながら、説明文が見当たらなかったのでエル・パラシオ・オバルはこれで終了ですが開口部がいくつか確認できたため、部屋数も多かったのでしょう。
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さて、最後に構造物17、双子の神殿=エストルクトゥーラ17 / ラス・ヘメラス【Estructura 17 / Las Gemelas】を見ていきましょう。
双子の神殿は、エク・バラム遺跡の中でもかなり保存状態の良い遺跡だそうです。
双子の神殿は、横幅40m・奥行き17m・高さ6mというサイズ感になります。
こう見ると基礎の上に2つの建造物が建っているようにみえます。
しかし、この2つの建造物はさらに2つのパーツに分かれています。
結果的に、双子の神殿には右側の建物に4部屋、左側の建物に4部屋の計8部屋あります。
また、双子の神殿には同時期に権力都市として機能していたチチェン・イツァやウシュマル【Uxmal】の丸みを帯びた建築様式とは異なり、角ばった建築様式が見受けられます。
※ウシュマル【Uxmal】も後日行きます。
漆喰装飾も異なるものだったようで、発掘当時には珍しいマスク状の漆喰装飾も発見されたそうです。
加えて、マヤの建築らしい特徴として表層の内側に古い時代の建築物も発見されています。
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さて、これでエク・バラム遺跡の遺構はすべて見終わりました。
※本当は石碑=エステラ【Estela】もありましたが、数も少ないので写真だけ載せておきます。
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さて、エク・バラム遺跡からの帰り道を紹介するまえに少しだけセノーテの紹介です。
セノーテの名前は、読み方がよく分かりませんが【Xcanché】です。
おそらく、シカンチェーだと思います。
エク・バラム遺跡の駐車場からセノーテに続く道や看板があるので、行くこと自体は難しくありません。
入場料金は、遺跡とは別になり送迎付き170ペソ(MXN)みたいです。
送迎なしもあるようですが、片道1.5kmほどあるそうです。
案内写真を見る限りだと、非常に綺麗なセノーテで観光客は泳いだりボートに乗ったりできると思います。
ちなみに、遺物が発見されておりエク・バラムの人々はこのセノーテを催事や生活に利用してたようです。
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エク・バラム遺跡を観終わり、エントラーダから出てきました。
駐車場まで戻り、左の東屋まで行きます。
この東屋が帰りのタクシー乗り場です。
行きと同じく乗り合いタクシーで、定員に達すれば出発。
定員がそろわなくても、欠員分払えば出発するパターンです。
帰りはなぜか6人乗りのタクシーがきました。
私と同行者、あと確かフランス人の2人の4人で乗り込み、欠員の2人分を4人で割り勘してバジャドリの町まで戻ります。
バジャドリのセントロ近くまで送迎してもらいました。
行きのタクシーにはなかったエアコンが心地良かったです。
しかし、欠員分を払ったとはいえ、行きより20ペソほど高くなりました。
エアコンついてるから?
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さて、バジャドリの町に着くと疲れと空腹が襲ってきました。
ささっと済ませたいので、露店でタコスを購入しようと思います。
なんだか人だかりができていたので、こちらの露店で食べました。
露店でもマップに掲載されているのがメキシコ。
この露店では、トルタス【Tortas】とタコス【Tacos】を販売していました。
トルタは、パンに具材を挟むもので、こちらの露店では少し甘い生地のパンを使用していました。
同行者はこちらのトルタを注文し、私はタコスを注文しました。
タコスは、トルティーヤに具材がのってるやつです。
トルタもタコスも、具材はコチニータ・ピビル【Cochinita pibil】のみ。
お好みで塩やレモン汁をかけていただきます。
コチニータ・ピビル【Cochinita pibil】は、ユカタン半島の伝統的な豚肉の蒸し料理です。
コチニータは、お店によって味が微妙に変化します。
豚肉が少しすっぱかったり、辛かったり、甘かったり、一緒にタマネギが調理されているものや、赤タマネギが調理されていたり。
ちなみにこの露店のコチニータは、少し酸っぱいコチニータ・ピビルでした。
また、トルティーヤの生地もいつも食べているものと少し違いました。
メキシコシティなどでは、白や小麦色っぽいトルティーヤが主流でした。
※白色トルティーヤは、基本小麦粉を使用したトルティーヤです。筆者はトウモロコシのトルティーヤの方が好きです。
しかし、この露店のトルティーヤはそのどちらでもない黄色でした。
この生地は、なぜかはわかりませんが普通のトウモロコシのトルティーヤ生地より少し甘い感じがしました。
あと、露店ではだれが店員かわからなくなる事も多々あります。
お店の周りにいる人みんなが、お店の作業しています。
君、店員?と質問すればいいだけなんです。
ただ、筆者的には、あれ?君、店員だったの?のくだりが、露店の面白みだと思っています。
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昼食後、宿に戻ってシャワーや洗濯をしました。
バックパック旅で洗濯は重要かつ重労働です。
荷物を減らすために衣類は必要最低限しか持っていきませんでした。
また、基本的には手洗いです。
ただ洗濯をさぼると着る服がなくなるので、さぼれません。
遺跡疲れと洗濯で時間がかかったので、この日も夕食はスーパーで買って済ませました。
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夕食後、翌日の準備をして6日目終了です。
¡Hasta pronto!